和歌山県田辺市上屋敷 --水門跡-- |
別名 | 錦水城 |
交通 | JR紀勢本線「田辺駅」から徒歩20分。 |
築城年代 | 1619年(元和5) |
築城者 | 安藤直次 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 安藤氏 |
1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、和歌山城に入城した浅野幸長の重臣浅野氏重は田辺に配された。氏重は初め上野山城に入城するが、不便であった為、1603年(慶長8)洲崎城の築城を開始し、翌年完成した。しかし1605年(慶長10)田辺地方を襲った暴風雨により州崎城が流失すると、氏重は再建する事無く、会津川口東岸のこの地に新たに湊城の築城を開始、これが田辺城の前身となる。 1619年(元和5)浅野氏に代わり、徳川家康の10男頼宣が和歌山城に入城すると、附家老である安藤直次が田辺に封じられた。以来修築・普請が繰り返され、1830〜44年(天保年間)頃、近世城郭としての田辺城が完成したと考えられる。 1870年(明治3)田辺城は廃城となり、現在城址は市街地化され、ほとんど唯一の遺構である水門が残るだけとなっている。 |
錦水神社 | 境内に展示される田辺城鯱瓦 | 水門跡石垣 |
上から見る水門跡 | 西側を流れる会津川 | 水門跡近くにある殿井戸 |