知立城

知立城ちりゅうじょう
愛知県知立市西町西
Mapion

--公園に立つ城址碑--
別名         
交通 各線「知立駅」から徒歩10分。
築城年代       
築城者 永見氏
形式 平城
主な城主 永見氏
知立神社の神主を務めていた豪族永見氏が代々城主であった。
永見氏はその後水野氏に仕え、また急速に勢力を伸ばし始めた松平氏との関係も深め、やがて今川氏支配下に置かれる事となる。
1560年(永禄3)桶狭間合戦の際、今川義元は一時知立に本陣を構え、知立城に配下を置いて桶狭間へ向かったが、敗戦後知立城は織田方に攻められ落城したという。
1573〜92年(天正年間)刈谷城主水野忠重により知立城址に御殿が設けられ、その後松平主殿守が増築を行い、以後将軍家の宿泊や休憩所に当てられたが、1699年(元禄12)地震によって倒壊した。
知立神社から南300メートル付近城址とされる。現在は公園となり、城址碑・御殿跡碑が立つのみとなっている。

参考文献 「現地案内板」
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2014年1月