静岡県沼津市大手町4丁目 --三枚橋城外堀石垣-- |
別名 | 沼津城・観潮城 |
交通 | JR東海道本線「沼津駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | 1570年(元亀1)頃 |
築城者 | 武田勝頼 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 高坂源五郎昌信 |
1570年(元亀1)頃、武田勝頼が駿河伊豆国境付近まで進出し、興国寺城・韮山城の兵と戦った時、後北条氏領内における橋頭堡として築城したと考えられる。また一説に1577年(天正5)或いは1579年(天正7)の築城ともいわれている。 周辺の北条方支城とは度々争乱があったと思われ、特に武田方に対する最前線の役割を担っていた戸倉城との間では争いが絶えなかった。1581年(天正9)この時の三枚橋城主高坂源五郎昌信は戸倉城主笠原新六郎政尭を誘降し、11月これに乗じて勝頼は戸倉城を攻略している。 1582年(天正10)武田氏滅亡後、高坂昌信は三枚橋城を徳川家康に明け渡し、甲州へ退去した。 1590年(天正18)家康が関東へ移ると、豊臣秀吉家臣の中村一栄が入城、1601年(慶長6)には家康家臣大久保忠佐が入城するが、1614年(慶長19)忠佐が跡継ぎの無いまま没した為除封となり、三枚橋城は廃城となった。 1777年(安永6)水野忠友が三枚橋城の北半分を利用し、新城の築城を開始し、以後明治まで水野氏が8代約90年続く事となった。 |
本丸跡(中央公園)に立つ城址碑 周囲の石は三枚橋城当時の石垣に 使われたもの |
三枚橋城外堀跡碑 | 南を流れる狩野川 |