兵庫県尼崎市富松町 --土塁-- |
別名 | 東富松城 |
交通 | 阪急神戸線「武庫之荘駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 1487年(長享1)以前 |
築城者 | 薬師寺氏か |
形式 | 平城 |
主な城主 | 薬師寺氏・三好長慶 |
富松城の文献上の初見は1487年(長享1)だが、平安時代よりこの地は富松荘が置かれ、荘園管理を任されていた薬師寺氏の居館が構えられていたものと考えられる。 1519年(永正19)細川高国と細川澄元の争いの中、瓦林正頼が守る越水城が澄元方に 攻められると、これを救うべく池田城を本陣とした高国が富松等に陣を置いたとされる。その後も富松城を巡り細川氏や三好氏らの攻防が度々繰り広げられ、1568年(永禄11)織田信長の摂津侵攻により三好氏が敗走し、越水城が放棄された頃、富松城も廃城になったと思われる。 富松城は史料に「東富松城」と「西富松城」の2つの名が見える。西富松城は南西の武庫荘東1丁目付近と比定され、関係については二所一城説、時代による主要部の変遷等と説があり、詳細は不明だが、この東富松城は富松城の中枢部と考えられる。また東側の富松神社もかつて土塁や堀があったとされ、富松城は環濠集落として発展したものと考えられている。一帯は住宅・商業地になっているが、富松城跡前交差点南東、僅かな一画にL字の土塁が残されており、堀跡と思われる窪地も確認出来る。 |
曲輪跡 | 北堀跡 | 東堀跡 |