津田城

津田城つだじょう
大阪府枚方市大字津田
Mapion
登山口地図

-国見山山頂へ続く土塁状の尾根-
別名 国見山城
交通 JR片町線「津田駅」からバス「津田サイエンスヒルズ」下車。
バス停から登山口まで徒歩5分。
築城年代 1490年(延徳2)
築城者 津田周防守正信
形式 山城
主な城主 津田主水頭正時
津田氏は1490年(延徳2)楠木氏の末流とされる橘正信がこの国見山に城を構え、津田周防守正信を称した事に始まるといい、以後4代100年続いた。
2代備後守正忠は1532〜55年(天文年間)蓮如の子、蓮淳が招提に敬応寺を創建した際、娘を側室に送り、本願寺勢力と通じた。
3代周防守正明の時、飯盛山城三好長慶に従い、交野・茨田両郡で1万石を領し、津田氏の勢力は最も強大となる。
1575年(天正3)4代主水頭正時の時、織田信長の河内平定の為、津田城は信長勢に攻められ、僅か4時間で落城した。正時は浪人となるが、その後豊臣秀吉に許されこの地に戻り、山麓の本丸山に城を構えた。しかし正時は山崎合戦で招提寺内衆と共に明智光秀に呼応し、合戦後津田・尊延寺等の領地は没収されて再び浪人となるが、その後また秀吉に許され2百石を与えられた。
城址は土塁のような細尾根に囲まれた谷戸状になっており、交野山・飯盛山からのルートを押さえる関所のような印象で、堀等の遺構は特に見当たらず、主に自然地形を利用したものだったようである。
西側尾根
左側の窪地を主郭とし、右側は
そのままに土塁状となる
国見山山頂 Mapion
津田周防守正信墓
字古城にあり、付近は津田城築城
以前の城があったと考えられる

参考文献 「現地案内板」
                    「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」  
訪城回数 1
2010年2月