飯盛山城

飯盛山城いいもりやまじょう
大阪府大東市大字北条
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-山頂(高櫓郭)に立つ楠木正行像-
別名     
交通 JR片町線「四条畷駅」から四條畷神社まで徒歩15分。神社裏手
から登山道があります。又南西麓にある慈眼寺・野崎観音からも
野崎城経由の登山道があります。
築城年代 1334〜38年(建武年間)・1531年(享禄4)
築城者 佐々目憲法・木沢長政
形式 山城
主な城主 木沢長政・三好長慶
1334〜38年(建武年間)北条氏与党であった佐々目憲法が飯盛山を城郭として最初に用いたといわれるが、詳細は不明。
1348年(正平3)四条畷合戦の際、北朝方懸下野守がこの地に布陣した記録が残り、南北朝動乱期において臨戦的陣城として利用された。
1531年(享禄4)畠山氏家臣木沢長政が居城とした頃、本格的に築城されたと考えられ、その後交野城主安見宗房(直政)が入城し、1560年(永禄3)芥川山城主三好長慶が畿内平定の新たな本拠地として入城した。
1568年(永禄11)織田信長が足利義昭を擁して入京し、摂河から三好三人衆を追うと、飯盛山城は畠山昭高に与えられた。
1570〜73年(元亀年間)畠山氏家老の遊佐信教が守るが、1576年(天正4)信長に攻められ落城し、間も無く廃城となった。
NHK電波塔が建つ千畳敷 千畳敷から高櫓郭方面 千畳敷・高櫓郭間土橋
高櫓郭 本丸 本丸から西方面
本丸下石垣 御体塚丸下堀切 御体塚丸
御体塚丸下石垣 御体塚丸背後堀切 北曲輪に立つ飯盛山史蹟碑

参考文献 「現地案内板」
                「日本城郭全集 人物往来社」
                    「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」  
訪城回数 1
2010年2月