京都府京都市上京区茶屋町 --茶屋四郎次郎邸碑-- |
別名 | |
交通 | 京都市営地下鉄烏丸線「丸太町駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 戦国時代 |
築城者 | 茶屋四郎次郎清延 |
形式 | 屋敷 |
主な城主 | 茶屋四郎次郎 |
徳川家康に仕えた京の商人、茶屋四郎次郎初代清延屋敷跡。 茶屋家は代々四郎次郎を襲名し、初代清延・清忠・清次と3代家康に仕え、政商として活躍した。 1582年(天正10)本能寺の変の際、初代清延の名が歴史に初めて現れる。清延は堺を遊覧中であった家康に急報をもたらし、銀子80枚を先々で渡しながら伊賀超えを先導し、家康を無事三河岡崎へ逃した。この功績に江州代官を任命されるが辞退し、以後も商人として家康に仕えた。 2代清忠も徳川家の呉服御用と財政面の補佐を勤め、1600年(慶長5)関ヶ原合戦では軍需物資の調達に活躍した。 3代清次の時には朱印船を管理し、最大の政商となる。1614年(慶長19)大坂冬の陣では大坂城に入り、和睦交渉の内使を勤め、家康側近の政商として大きな勢力を持っていた。1616年(元和2)家康は死去するが、その死因説の一つである鯛のテンプラを駿河田中城で勧めたのは清次といわれる。 |