岐阜県各務原市鵜沼南町7丁目 --南、木曽川対岸から城址遠望-- |
別名 | 宇留摩城・志水山霧ヶ城 |
交通 | JR高山本線「鵜沼駅」から徒歩5分。 |
築城年代 | 室町時代末期頃か |
築城者 | 大沢氏 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 大沢次郎左衛門 |
木曽川を挟み、犬山城対岸に位置し、大沢氏が居城した。創建については諸説あり、1430年代(永享)の頃、大沢治利が築いたともされるが明らかではない。 1565年(永禄8)夏、織田信長は東美濃侵攻第一の目標である鵜沼城・猿啄城攻略の為、付城として伊木城を築くと自ら在城し、鵜沼城下を焼き払った。そして木下藤吉郎(羽柴秀吉)の計略により城主大沢次郎左衛門は信長に降るが、その後信長の変心を恐れた大沢氏は城を捨て逃亡したといわれる。 現在城址は私有地?となり立ち入りは出来ない。 |