魚住城

魚住城うおずみじょう
兵庫県明石市大久保町西島
Mapion

--案内板--
別名 西嶋城・島村構居
交通 山陽電鉄本線「西江井ヶ島駅」から徒歩15分。
築城年代 1578年(天正6)
築城者 魚住頼治
形式 平城
主な城主 魚住頼治
南北朝時代、小寺城主小寺頼秀3男、魚住長範は魚住城の前身である魚住古城を中尾川沿いに築くと、代々魚住氏居城となった。
1578年(天正6)三木合戦の際、魚住頼治は毛利軍が三木城へ兵糧を運び入れる為の拠点としてこの地に魚住城を築き、毛利・紀伊雑賀の軍勢を迎え入れるが、1580年(天正8)三木城落城と共に魚住城も僅か2年余りで廃城となった。
発掘により堀の一部と見られる遺構が見つかっているが、現在一帯は宅地化され、小公園に案内板が立つのみとなっている。

参考文献 「現地案内板」
                          「ひょうごの城 神戸新聞総合出版センター」
                     「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2015年8月