長野県長野市中御所2丁目 --八幡宮-- |
別名 | 漆田城・御所 |
交通 | JR信越本線「長野駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | 室町時代 |
築城者 | 漆田氏 |
形式 | 館 |
主な城主 | 漆田出羽守秀豊 |
漆田の地名の初見は、1387年(至徳4)村上・高梨・島津氏ら国人一揆が善光寺横山に挙兵し、守護所の平柴を攻めようとした時で、守護代二宮氏の軍勢が漆田に向かったとある。この地が守護方の攻撃対象になっている事から、善光寺と連動した機能を有していた地であったものと思われる。 漆田城が文献に現れるのは、1462〜87年(寛正3〜文明19)頃で、秀興・秀豊・貞秀3代の存在が確認されているが、この3代以降の漆田氏の動向は明らかではない。 またその間1477年(文明9)8月、「漆田城一揆に攻められ城を栗田へ渡せられ候」(諏訪御符礼之古書)とあり、栗田館の栗田氏に攻められたとみられる記録がある。 明確な遺構は無く、屋敷跡とされる「字御所」には現在八幡宮が建っている。また西北にある観音寺には、漆田出羽守秀豊の墓と伝えられる宝篋印塔がある。 |