横手城

横手城よこてじょう
秋田県横手市城山町
Mapion

--南西から城址遠望--
別名 朝倉城・龍ヶ崎城・韮城・衡城・阿桜城
交通 各線「横手駅」から徒歩30分。
築城年代 1455〜60年(康正〜長禄年間)か
築城者 小野寺輝道か
形式 平山城
主な城主 小野寺義道
築城年代については諸説あり、明らかでない。一説に鎌倉時代初期には既に築かれていたともいわれるが、戦国時代には小野寺氏が本拠とし、雄勝・平鹿・仙北三郡支配の拠点となる。
1590年(天正18)小野寺義道は豊臣秀吉による小田原征伐に参陣するが、その後奥羽仕置により大幅な削封を受け、雄勝地方の大部分も最上領となった為、1600年(慶長5)までの10年間は雄勝支配を進める最上義光と対立した。
1600年(慶長5)慶長出羽合戦後、上杉景勝を支持した義道は義光に攻められ、和睦に持ち込むが、その後徳川家康によって石見国津和野へ配流となり、小野寺氏は改易された。横手城は一時最上氏家臣鮭延氏が入城するが、1602年(慶長7)佐竹義宣が常陸国から秋田へ入ると、久保田城の支城となる。1620年(寛文12)戸村十太夫義連が城代として入城すると、以後明治まで代々戸村氏が城代を務めた。
1868年(慶応4)戊辰戦争において横手城は仙台藩・庄内藩に攻められ、落城した。
現在城址は横手公園として整備されている。この地は宇都宮城釣り天井事件で失脚した本多正純配流の地でもあり、城址南東には墓所がある。
西麓を流れる横手川 大手門跡 武者溜跡
二の丸に建つ模擬天守 二の丸に立つ小野寺氏顕彰碑 本丸に建つ秋田神社
本丸東腰曲輪跡 東下にある牛沼 Mapion
本多正純墓所

参考文献 「現地案内板」
                        「青森・岩手・秋田の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2013年9月