脇本城

脇本城わきもとじょう
秋田県男鹿市脇本脇本七沢
Mapion

--城址から東、八郎潟方面--
別名 生鼻城・太平城
交通 JR男鹿線「脇本駅」から徒歩30分。
南東麓、菅原神社から登山道があります。
築城年代 14世紀頃か
築城者        
形式 平山城
主な城主 安東愛季
脇本地区は古くから水陸交通上の要衝であり、14世紀頃、既に脇本城は築かれていたとみられる。
1570年(元亀1)檜山城を居城とする檜山安東氏愛季は、湊城を居城とする湊安東氏を併合し、その領地を支配すると、1577年(天正5)脇本城を居城とするが、この時脇本城は大規模な修築が行われたとされる。
1589年(天正17)愛季の死後に起こった安東氏の内紛(湊騒動)の際、愛季の子実季が籠城を考えたが、結局檜山城に逃れたという。
1590年(天正18)豊臣秀吉による奥州仕置き、又は1602年(慶長7)佐竹義宣の秋田移封時に脇本城は廃城になったと考えられる。
脇本城は生鼻崎の内館、馬乗り場(古館)・本明寺山を中心とした曲輪群・打ヶ崎を中心とした曲輪群等、複数の曲輪群から成り、その中で馬乗り場(古館)が核と成っていたと考えられている。非常に広大な規模を持ち、東北を代表する山城で、国指定史跡として生鼻崎の内館を中心とする曲輪群が綺麗に整備されている。夏でも下草が刈られ非常に見学しやすく、パンフレットや案内も充実している。
南東に建つ菅原神社 城内を通る天下道(登城路)
船川・北浦方面へ至る道で、中世に
整備されたとみられる。
館跡群下曲輪
館跡群下曲輪仕切り土塁 館跡群
安東愛季の家臣屋敷があったと
考えられる
館跡群土塁
館跡群竪堀 館跡群から西側の眺め 館跡群から東
中央堀切の右側が内館
内館・堀切 内館・土塁 内館・井戸跡
内館・土塁 虎口 井戸跡

参考文献 「現地案内板」
                        「青森・岩手・秋田の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2012年8月