群馬県太田市脇屋町 --館址碑-- |
別名 | |
交通 | 東武伊勢崎線「細谷駅」から徒歩35分。 |
築城年代 | 鎌倉時代 |
築城者 | 脇屋義助 |
形式 | 館 |
主な城主 | 脇屋義助 |
新田氏8代義貞の弟である脇屋義助館址。義助は脇屋に分家して脇屋氏を称し、1333年(元弘3)義貞による鎌倉攻めの際、新田一族の評議において鎌倉進撃を提唱、倒幕に活躍した。 その後も義貞と共に各地を転戦、1338年(延元3)越前国で義貞が没すると、その跡を継ぎ、1342年(興国3)西国の総大将として四国に渡るが、当地で病没した。 現在館址は宅地や耕地となり、碑が立つのみとなる。また北西1キロに建つ義助菩提寺である正法寺には義助遺髪塚がある。 |
正法寺 |
脇屋義助像 | 脇屋義助遺髪塚 |