埼玉県蕨市中央4丁目 --水堀跡(御殿堀)-- |
別名 | 蕨ノ御所 |
交通 | JR京浜東北線「蕨駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 南北朝時代 |
築城者 | 渋川義行 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 渋川義基 |
南北朝時代、将軍足利義満の叔父にあたる渋川義行が、武蔵国司としてこの地に居住し、以来渋川氏累代の居城となる。 1524年(大永4)1月、北条氏綱は扇谷上杉朝興を江戸城から追い、更に翌年岩槻城も手に入れると、蕨城も城主渋川義堯の時に支配下に入った。 1526年(大永6)5月、朝興が大軍で蕨城を包囲すると、氏綱は蕨城へ援軍として向かうが間に合わず、6月7日落城した。 その後義堯の子義基は、後北条氏の援助を受けて蕨城を取り戻すが、1567年(永禄10)安房里見義弘の上総三船城攻撃に際し、後北条氏方として岩槻城主太田氏資らと共に出陣し討死した。この時義基夫人は悲報を聞き、榛名湖へ入水したと伝えられる。 1590年(天正18)徳川家康が関東に入国すると渋川氏一族はこの地を去り、城址には御殿が設けられた。 現在蕨城址公園となり、土塁や堀跡とされる池が残されている。また渋川氏の蕨城については隣接の戸田市元蕨にあったという説もいわれる。 |