柳生城

柳生城やぎゅうじょう
奈良県奈良市柳生町
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芳徳寺地図

--芳徳寺・石舟斎塁城址碑--
別名 小(古)柳生城
交通 JR関西本線「奈良駅」からバス「柳生」下車。
築城年代    
築城者 柳生氏
形式 山城
主な城主 柳生宗厳
柳生氏は「長谷流鏑馬日記(1384年)」にその名が見えるが、室町時代の事績については明らかでない。1544年(天文13)柳生氏は筒井順昭に抵抗し、この時の大将格として柳生宗厳の名が知られる。その後柳生氏は許されるが、1571年(元亀2)辰市合戦では古市氏と共に松永久秀方にあり、筒井順慶と争い、柳生息らが討死したという。
宗厳は柳生新陰流の祖石舟斎で、その5男宗矩は家康に仕え、柳生藩を開いた。
芳徳寺南東の山が城址。芳徳寺へ通じる車道沿いに入口・井戸がある。
西側にある井戸 本丸南堀切 本丸
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柳生三代の墓
左から宗冬・宗矩・三厳(十兵衛)
上泉伊勢守信綱供養塔
信綱は箕輪城長野氏に仕えていた
が、その後諸国流浪の旅に出て、
柳生を訪れると宗厳に新陰流を
伝えた。
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十兵衛杉
宗矩の子である三厳が諸国漫遊に
旅立つ時、植えたと言われる。

参考文献 「歴史群像シリーズ 学研」
                   「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2010年2月