柳川堀ノ内

柳川堀ノ内やながわほりのうち
神奈川県秦野市柳川
Mapion

--字堀ノ内--
別名 遠山左衛門屋敷
交通 小田急線「渋沢駅」から徒歩40分。
築城年代 室町時代末期
築城者 遠山氏
形式
主な城主 遠山景政
新編武蔵国風土記稿」によると柳川「字堀ノ内」は後北条氏家臣である遠山左衛門館跡とされ、武蔵国江戸城等の城番役を務めた景政が居たと考えられる。1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、景政は河村新城に籠るが、徳川勢に攻められ、自害したという。
しかし居住者については「遠山左衛門」とあるだけではっきりせず、「小田原所領役帳」に見える遠山氏一族と思われる惣九郎や藤六が居たとも考えられる。
「字堀ノ内」主要部は方形の水田で、北から西にかけて丘陵を背負う谷戸地形となっており、水田脇の側溝は堀跡と思われる。また北丘陵上には階段状に平場が残り、詰城が設けられていたと考えられる。
西丘陵上に建つ長福寺 長福寺境内にある五輪塔 北丘陵

参考文献 「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
     「秦野の城郭 秦野市教育委員会」
訪城回数 1
2020年2月