淀山城

淀山城よどやまじょう
兵庫県丹波篠山市杤梨
Mapion

--南西から城址遠望--
別名 波々伯部城
交通 JR福知山線「篠山口駅」からバス「篠山営業所」下車。
乗り継ぎ⇒ 「篠山営業所」からバス「辻」下車。
城址東麓にある池の北側に案内板・登山口があります。
築城年代     
築城者 波々伯部氏
形式 山城
主な城主 波々伯部光吉
波々伯部(ほうかべ・ははかべ)氏代々の居城。波々伯部氏家譜によると、源義家の末裔で房光が篠山に来たという。その後次郎左衛門為光が、足利尊氏に仕え、1337年(建武4)戦功により伯耆国稲光保の地頭職を与えられた。1391年(明徳2)明徳の乱の際には光豊・光基等が活躍、波々伯部氏一族は淀山城を中心に南山城・垣屋城・東山城を築き、一族繁栄して屈指の土豪に成長した。
その後山名氏や細川氏の被官となり、八上城主波多野氏が台頭するとその重臣として、光忠・光吉が活躍したが、1577年(天正5)10月、明智光秀による第二次丹波攻めが始まると、光吉は八上落城直前に城を抜け出して帰農したという。そして光吉の子である光広は波々伯部から波部と改称し、酒屋を開業して大いに繁盛したと伝わる。
南に延びる尾根先、最高所を本丸とし、堀切を挟み、北側に二の丸・三の丸があり、東下に腰曲輪・横堀・竪堀を設けている。東麓には南北2か所の井戸曲輪やいくつかの平場が残り、居住性の高い「館城」であった可能性も考えられている。
東から城址遠望 入口に立つ案内板 北井戸曲輪
南井戸曲輪 井戸跡 腰曲輪
竪堀 横堀 腰曲輪
本丸・二の丸間堀切 二の丸 本丸西下腰曲輪
本丸南曲輪 本丸 本丸土塁

参考文献 「近畿の城郭 戎光祥出版」
              「明智光秀の城郭と合戦 戎光祥出版」
訪城回数 1
2020年1月