長野県飯田市座光寺 --本丸-- |
別名 | 上野南城 |
交通 | JR飯田線「元善光寺駅」から徒歩15分。 麓の麻績神社裏から登山道があります。 |
築城年代 | 戦国時代末期頃か |
築城者 | |
形式 | 山城 |
主な城主 | 座光寺氏 |
1394〜1427年(応永年間)船山城主片切(片桐)為信の3男河内守重慶は、松岡城の松岡氏に従い、この地に移ると地名から座光寺氏を称した。1532〜54年(天文年間)一時知久氏に属したが、その後武田氏に従う。 1575年(天正3)座光寺左近進は岩村城に籠もり、秋山信友らと共に織田信長によって磔刑に処されたが、一族は江戸時代まで座光寺氏として続く。 沢を挟んで北東には本城と考えられる座光寺北城がある。この南城に見られる遺構は戦国末期頃の構築と思われ、新たに北城の出城として、1582年(天正10)信長の伊那侵攻に備えて増築されたもの、または徳川家康の下、豊臣政権に対抗して構築されたもの等諸説あるが、明らかではない。 |
東曲輪 | 東曲輪堀切 | 本丸虎口 |
土橋 | 御鍬社跡 | 馬出北堀切 |