松岡城

松岡城まつおかじょう
長野県下伊那郡高森町下市田
Mapion

--北西から城址遠望--
別名 松岡本城
交通 JR飯田線「元善光寺駅」から徒歩35分。
築城年代 南北朝時代
築城者 松岡氏
形式 平山城
主な城主 松岡貞利
松岡氏は平安時代末期から鎌倉時代末期頃までの約300年間、松岡古城に住していたが、その後南北朝期に入ると古城から南、段丘先端の要害であるこの地に築城し移ったと考えられる。
松岡氏は守護小笠原氏に従い、1400年(応永7)大塔合戦、1440年(永享12)結城合戦の際、その名が見え、座光寺・宮崎・竜口氏等の近隣諸豪を傘下に組み入れ、下條氏・小笠原氏と並ぶ南信濃の大豪族となった。
1554年(天文23)武田信玄により鈴岡城主小笠原氏、神峰城主知久氏が攻め落とされると松岡氏は武田氏に帰属し、50騎をもって飯富三郎兵衛の配下に属した。
1582年(天正10)織田信長の甲州征伐により、伊那郡は毛利秀頼が治めるようになり、この時の城主松岡頼貞は信長に帰順した。信長の死後、代わって徳川家康が領有するが、松岡氏は豊臣氏に心を寄せており、1585年(天正13)12月、松本城主小笠原貞慶の高遠攻めに向かう。しかし小笠原勢の形勢不利と見た松岡氏は途中で引き返すが、これを家臣座光寺次郎右衛門が伊那郡司菅沼定利に密告した為、松岡貞利は捕われの身となり、1588年(天正16)改易を命じられた。
松源寺(五の郭) 空堀 三の堀
ニの堀・土橋 土橋 一の堀・土橋
一の堀 石積み? 主郭

参考文献 「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
 「松岡城設置パンフレット」
訪城回数 1
2008年11月