英賀城

英賀城あがじょう
兵庫県姫路市飾磨区中浜町
Mapion

--本丸跡碑--
別名 岩繋城
交通 山陽電鉄網干線「西飾磨駅」から徒歩5分。
築城年代 1429〜41年(永享年間)
築城者 赤松祐尚
形式 平城
主な城主 三木氏
1429〜41年(永享年間)、白旗城主赤松義則の子で、満祐弟である祐尚により築かれた。
1441年(嘉吉1)嘉吉の乱で赤松家が滅びると、播磨は山名持豊の支配下に入り、英賀城には恋の浜城から三木氏4代通武が入ったとされ、この時大改修が行われた。通武は山名氏に従いながら赤松氏とも連携しており、5代通安は赤松家を再興した政則に従い活躍した。
1512年(永正9)本願寺実如の子実円が迎えられ、英賀御坊が城内に設けられると、寺内町として栄え、城下を取り込んだ「城郭都市」となった。
1580年(天正8)1月、三木城が羽柴秀吉に攻められ落城すると、3月英賀城も秀吉方加藤清正・蜂須賀小六らに攻められた。1ヶ月余りの籠城戦の末に落城し、城主通秋は九州へ逃れたという。
三木城・御着城と共に播磨三大城の一つに数えられ、大規模な城郭だったとされるが、一帯は宅地化されており、英賀神社付近に僅かに土塁が残されるのみとなっている。

参考文献 「現地案内板」
                          「ひょうごの城 神戸新聞総合出版センター」
                     「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2015年8月