兵庫県姫路市御国野町御着 --城址碑-- |
別名 | 茶臼山城・天川城 |
交通 | JR山陽本線(JR神戸線)「御着駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 1519年(永正16) |
築城者 | 小寺政隆 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 小寺政職 |
1519年(永正16)播磨守護赤松氏の家臣小寺政隆が築城し、則職、政職と受け継がれる。中世末期には別所氏の三木城・三木氏の英賀城と共に、播磨三大城の一つに数えられ、姫路城は出城として機能していた。また1441〜44年(嘉吉年間)には既に構居が設けられていたとされ、1492〜1501年(明応年間)には、赤松氏の播磨守護所の役割を持つ城郭であったともいわれる。 1578年(天正6)7月、羽柴秀吉に攻められ、政職率いる城兵は秀吉勢を一時辰巳の谷まで退陣させ奮戦したが、その後落城し、廃城となった。 城址は御着城跡公園となり、御国野公民館裏側に僅かに堀跡が残されている。 |
小寺大明神境内に立つ碑 |
出土した五輪塔 小寺大明神境内 |
堀跡に架かる天川橋 |