赤松屋敷

赤松屋敷あかまつやしき
京都府京都市中京区槌屋町
Mapion

--夷川公園に立つ陽成院跡案内--
別名           
交通 各線「烏丸御池駅」から徒歩15分。
築城年代           
築城者 赤松氏
形式 屋敷
主な城主 赤松満祐
赤松氏は村上源氏源師季を祖とし、家範の時に赤松氏を称したとされるが、諸説ある。
1336年(建武3)赤松則村(円心)の時、九州へ逃れた足利尊氏追討の為に派遣された新田義貞率いる6万の軍勢を白旗城に迎え撃ち、後の尊氏の湊川合戦の勝利、再上洛に大きく貢献した。戦功により則村は播磨守護職に任ぜられ、以後赤松氏は播磨を根拠地として一大勢力を誇った。
しかし1441年(嘉吉1)満祐の時、6代将軍足利義教と対立を深め、6月24日、満祐の子教康は花の御所から義教をこの屋敷に招いて謀殺した。その後父子は国元へ引き揚げ、城山城に籠もるが、追討軍に敗れ、赤松氏は一旦滅亡した。「嘉吉の乱
屋敷は陽成院の南、夷川以南にあったといい、邸内には洛中に大湖と呼ばれる程の泉水もあったとされる。現在一帯は宅地化されており、痕跡は見当たらない。

参考文献 「歴史群像シリーズ 戦国京都 学研」   
訪城回数 1
2016年4月