1336年(建武3) 楠木正成・新田義貞×足利尊氏・足利直義 --楠木正成像・湊川公園-- |
交通 | JR山陽本線「神戸駅」から湊川公園まで徒歩15分。 |
1335年(建武2)12月11日、後醍醐天皇に叛いて武家政権の樹立を目指す足利尊氏は竹之下合戦で新田義貞を破り、1336年(建武3)1月、京に攻め上がった。しかしその間奥羽北畠顕家は兵を率いて尊氏不在の鎌倉を占拠すると、そのまま尊氏の後を追い西上、尊氏軍を撃破した。 更に豊島河原・打出浜合戦にも敗れた尊氏は海路九州へ敗走するが、その後多々良浜合戦に勝利し、勢力を回復すると光厳天皇を奉じ東上を開始した。これを迎え撃つ為、楠木正成は京を発し、5月24日、既に新田義貞が布陣する湊川に着陣した。正成は会下山に本陣を構え、楠木勢の総兵力は7百余りであったといわれる。 25日、新田勢ははじめ和田岬に布陣していたが、敵勢の多さに生田の森まで後退していた。ここで足利方細川勢に攻められた新田勢は退路を断たれる恐れから全軍東進し、そのまま正成を置いて京へ退く。細川勢は敗走する新田勢を追わず、反転して楠木勢の背後に回り、その間水軍主力も上陸して尊氏軍は楠木勢を完全に包囲した。 午前10時、孤立無援となった楠木勢先鋒3百騎は会下山を下りて赤松勢へ突入し、細川勢、島津勢も崩れかかった。楠木勢主力もそれに続き、6時間に及ぶ激戦が行われるが、力尽きた正成以下僅かの郎党は湊川北方の民家に入り、自刃した。 |
大倉山公園 楠木正成が陣を置いたといわれる |
会下山公園 大楠公湊川陣之遺蹟碑 |
旧湊川址碑・湊川公園 |
楠木正成像・湊川公園 | 楠木正成自刃の地・湊川神社 一族十六騎、郎党六十余人と 共に自刃した |
楠木正成墓・湊川神社 |