天方古城

天方古城あまがたこじょう
静岡県周智郡森町大鳥居
Mapion
案内板・登山口地図

--堀切--
別名 天方本城
交通 天竜浜名湖鉄道「遠州森駅」から徒歩60分以上。
築城年代 南北朝末期〜室町時代前期
築城者 山内対馬守道美又は天方山城守通秀か
形式 山城
主な城主 天方山城守通興
1992年(平成4)に発見された城址。
それまで天方氏の本拠は、城ヶ平の天方城と考えられていたが、現在はこの天方古城が本拠であったと考えられている。
1501年(文亀1)秋、城主天方5代通季の頃、遠江進出を図る今川氏親と遠江国守護斯波義寛の攻防戦が繰り広げられた。この天方本城は一時斯波方に占拠されるが、間も無く今川方によって取り戻される。
1568年(永禄11)12月、遠江に侵攻した徳川家康に対し、遠江諸城主や土豪は屈服するが、天方本城天方山城守通興と飯田城山内大和守通泰は従属しなかった。その為1569年(永禄12)6月19日、天方本城と支城の白山城は徳川方に攻められ、通興は降伏し、又飯田城も攻略され、大和守通泰以下城兵残らず討死した。
1573年(元亀4)徳川家康は前年三方ヶ原で大敗している為、遠州での劣勢挽回を図るべく、平岩七之助親吉を将とする1千余名で、天方本城と支城の白山城に籠もる武田方久野弾正忠宗政らを攻略した。この時天方通綱も久野弾正と行動を共にしていたが降伏し許され、弾正忠宗は甲州へ敗走した。
その後1579年(天正7年)通綱は二俣城において、切腹を命じられた家康の嫡子信康の介錯を努め、その自責の念から高野山で仏門に入り、後に越前松平秀康に仕え、越前天方氏の宗家となった。
山麓に立つ案内板 南から遠望 曲輪跡

参考文献 「現地案内板」
                 「ふるさと古城の旅 海馬出版」
訪城回数 1
2009年1月