1570年(元亀1) 織田信長・徳川家康×浅井長政・朝倉景健 --姉川・野村付近-- |
交通 | JR北陸本線「長浜駅」 |
1564年(永禄7)上洛を目指す織田信長は妹お市を小谷城主浅井長政に嫁がせ、浅井氏の同盟国である越前国朝倉氏への軍事行動の際には了解を得るとの約束を交わし、同盟を結んだ。しかし1570年(元亀1)4月、信長は上洛要請を無視する朝倉氏攻略を開始し、越前国金ヶ崎城を攻め落とした。それに対し浅井氏は朝倉氏を救う為、同盟を破棄して兵を出し、両者は対立するようになる。 同年6月21日、信長は長政が籠もる小谷城を攻めるが守りが堅い為、24日に龍ヶ鼻へ陣を移し、南方尾根続きに位置する浅井氏の出城である横山城を攻撃した。これは浅井長政を小谷城から誘い出す作戦であったとされる。浅井長政は小谷城を出陣すると、大依山に布陣し、その後越前国から来援した朝倉景健と連合して姉川の北岸に布陣し、南岸の織田・徳川連合軍と対峙した。 28日信長は龍ヶ鼻から北西陣杭に本陣を移し、早朝両軍戦闘が始まる。織田軍は浅井勢に優位に攻め込まれるが、徳川軍が朝倉勢を破り、やがて浅井勢も敗走する事となった。 1573年(天正1)信長により小谷城は落城し、浅井氏は滅亡する。 |
龍ヶ鼻(茶臼山古墳) 織田信長本陣跡 |
遠藤喜右衛門直経墓 浅井家家臣遠藤直経は姉川合戦で 敗色が濃くなると首級を携え敵方に扮 し信長陣中に入るが竹中重矩に見破 られ討死した。 |
織田信長本陣跡・陣杭の柳 陣の杭から芽が出て柳になったとされ 現在4代目という。 |
徳川家康本陣跡・勝山 | 姉川古戦場碑・三田 | 朝倉景健本陣跡とされる伝正寺 |