荒砥城

荒砥城あらとじょう
長野県千曲市大字上山田
Mapion

--二郭櫓から見る二郭・主郭方面--
別名 山田城・砥沢城
交通 しなの鉄道「戸倉駅」から徒歩50分。
築城年代 1524年(大永4)か
築城者 山田氏
形式 山城
主な城主 山田国継・屋代政国
この地を治めていた村上氏の同族である山田氏によって築かれた。
1553年(天文22)武田信玄により村上義清居城である葛尾城は落城するが、この時荒砥城主山田国継も討死し、山田氏は滅亡した。その後信玄は荒砥城を屋代城主である屋代政国に与え、同氏の持城となった。
1582年(天正18)武田氏滅亡後、荒砥城は上杉景勝が領有し、政国の子秀正を海津城の副将とすると、荒砥城は在地豪族各氏に10日交代で在番させ、小笠原貞慶に備えた。
1584年(天正12)屋代秀正は徳川家康方に内応し、荒砥城に籠もったが、上杉勢に攻められ落城。その後廃城となった。
四郭 三郭石垣
この付近は旧状のままに見えるが、
後年積まれたものか不明。
二郭復元門
二郭に復元された兵舎 冠木門 内側から見る主郭虎口
主郭 主郭から西尾根方面 北東から城址遠望

参考文献 「現地案内板」 
          「戦国の山城 学研」
                    「山梨・長野の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2006年11月