葦屋浦古戦場

葦屋浦古戦場
福岡県遠賀郡芦屋町船頭町

1185年(寿永4)2月1日
源範頼×原田種直
Mapion

--合戦ヶ原碑--
交通 各線「折尾駅」からバス「芦屋橋」下車。
1184年(寿永3)一ノ谷合戦に敗れた平氏は再び屋島に本拠を移すと、平知盛を大将とする別働隊を長門国彦島に置き、瀬戸内海の制海権を掌握しようとする。これに対し源頼朝は源範頼を九州へ向かわせ、東西挟撃を企図する。12月藤戸合戦に勝利した範頼は西へ向かい、長門国に入るが、九州へ渡る船が無く、周防国へ退いていた。その為頼朝は計画を変更し、源義経に屋島攻めを命じている。
その後緒方惟栄らの協力で豊後国へ渡った範頼軍に対し、九州の平氏勢が攻め寄せた。1185年(寿永4)2月1日、範頼は葦屋浦でこれを迎え撃ち、北条義時・下河辺行平・渋谷重国らの活躍もあって源氏軍は原田種直ら平家方九州勢に勝利した。
その後屋島合戦に敗れた平宗盛軍が彦島に陣取る知盛軍と合流するが、孤立した平氏は3月24日、壇ノ浦合戦で敗れ、滅亡した。
現在の中央公園一帯の砂丘がその戦場であったと伝わり、一画に合戦ヶ原碑が立つ。

参考文献 「現地石碑文」
              「歴史群像シリーズ 学研」
2017年1月