福岡県久留米市御井町 --本丸東堀切-- |
別名 | 別所城 |
交通 | JR久大本線「久留米大学前駅」から徒歩60分。 |
築城年代 | |
築城者 | |
形式 | 山城 |
主な城主 | 菊池氏・大友氏 |
築城者・年代は不明だが、1359年(延文4)筑後川合戦の際、懐良親王・菊池武光の本城になったと伝えられる。 1372年(応安5)室町幕府から渋川義行の後任として九州探題に任命された今川了俊(貞世)に大宰府を落とされると、懐良親王・菊池武光は再び高良山を根拠地として2年余り了俊と対峙した。その間武光・武政が2代続けて陣没すると、跡を継いだ武朝は肥後国隈府に撤退した。 戦国時代に入ると豊後大友氏の支配下に入り、現在見られる遺構は大友方の最前線として高良山勢力によるものと考えられている。 標高312メートルの高良山山頂に築かれており、高良山中に築かれた8つの中世山城の中で東端に位置し、谷を挟み西の杉ノ城と共に高良山山城群の主城であったと考えられる。最高所に本丸を置き、逆くの字状の尾根線上にそれぞれ曲輪が設けられ、一部土塁も見られる。本丸から東には2条の堀切があり、北側には竪堀群が確認出来、また北中腹には横堀が築かれている。西中腹に建つ高良大社奥宮は懐良親王御在所といわれ、ゆかりの「勝水」といわれる湧水がある。 |
北横堀 | 二の丸東堀切 | 二の丸 |
本丸西下堀切 | 本丸西下竪堀 | 西曲輪 |
西曲輪土塁 | 本丸 | 本丸土塁 |
本丸東堀切 | 本丸北竪堀群 | 高良大社奥宮 |