大楽古戦場

大楽古戦場
宮崎県都城市高城町高城

1542年(天文11)
北郷忠相×北原久兼 
Mapion

--中原中常坊供養碑--
交通 JR日豊本線「都城駅」から車で20分。
1532年(天文1)島津氏は伊東氏の8外城を奪回する為、都之城城主北郷氏・飫肥島津氏・北原氏と共に日和城を攻めるが、他の7城が落ちる中、日和城は城主伊東祐量が討死するも落城しなかった。伊東氏は新たに落合刑部少輔兼佳を城主に置くが、1534年(天文3)兼佳は北郷氏に内通し、北郷氏の領有となった。北郷忠相は都之城を長男忠親に譲り、日和城を居城とした。
1541年(天文10)6月16日、北郷氏に日和城を奪われた志和池城主北原久兼は、伊東氏の援軍を得て、北郷忠相と諏訪馬場で争うが敗れた。1542年(天文11)8月、この大楽で北原氏・伊東氏は再び忠相と争うが、都之城の忠親に挟撃され、敗れている。
1599年(慶長4)庄内の乱の際にも、この一帯で島津氏と伊集院氏が争っており、この戦いで討死した島津方、中原中常坊の供養碑が建つ。

参考文献  「現地案内」
2008年1月