志和池城

志和池城しわちじょう
宮崎県都城市上水流町
Mapion

--北西から城址遠望--
別名 古城
交通 JR日豊本線「都城駅」から車で20分。
築城年代 1394〜1428年(応永年間)
築城者 北原氏
形式 山城
主な城主 北原久兼
1394〜1428年(応永年間)北原氏により築かれた。
1541年(天文10)6月16日、北郷氏に日和城を奪われた城主北原久兼は、伊東氏の援軍を得て、忠相と諏訪馬場で争うが敗れた。
1542年(天文11)8月、大楽で北原氏・伊東氏は再び忠相と争うが、都之城の忠親に挟撃され、敗れている。
1543年(天文12)5月、都之城主忠相に攻められ、落城した。
1599年(慶長4)伊集院忠棟が伏見で島津忠恒に討たれると、その子忠真が都之城12外城に拠って島津宗家と争った。この庄内の乱の際、志和池城は島津方の兵糧攻めにより降伏し、乱後再び北郷氏のものとなる。
1615年(元和1)一国一城令により廃城となった。

参考文献 「現地案内板」
                        「大分・宮崎・愛媛の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2008年1月