大聖寺城

大聖寺城だいしょうじじょう
石川県加賀市大聖寺地方町
Mapion

--本丸に立つ山口玄蕃宗永碑--
別名 錦城
交通 JR北陸本線「大聖寺駅」から徒歩20分。
築城年代 鎌倉時代
築城者 狩野一門
形式 平山城
主な城主 山口宗永
大聖寺は、白山五院の一つがあった事に由来し、「太平記」に、1335年(建武2)北条氏の残党名越時兼が、兵を従えて京へ上ろうとした際、狩野氏一党の敷地・上木・山岸・福田氏らがこの城に拠って迎え撃ったと記されているのがこの城の初見。
戦国時代には加賀一向一揆の拠点となるが、越前朝倉氏との和議により破却された。
1575年(天正3)織田信長が修築し、城主に戸次広正、後に拝郷家嘉らが任ぜられた。
1583年(天正11)賤ヶ岳合戦後、この地は丹羽長秀に与えられ、その与力であった溝口秀勝が4万4千石で大聖寺城主となる。1597年(慶長2)秀勝が越後国新発田城へ移ると、小早川秀秋家臣の山口玄蕃宗永が入城した。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦の際、山口宗永は西軍に従い、8月3日早朝、東軍前田利長に攻略され、山口父子は討死した。以後大聖寺城には前田氏の城代が置かれ、1615年(元和1)一国一城令により廃城となる。
1639年(寛永16)大聖寺藩が成立するが、城が再建される事は無く、東麓に藩邸屋敷を構えるのみであった。
南東から城址遠望 東丸 東丸からの眺め
番所屋敷跡 鐘が丸 鐘が丸土塁
本丸 馬洗池 二の丸(台所屋敷)

参考文献  「現地案内板」
                         「新潟・富山・石川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2007年5月
2014年4月