兵庫県神戸市中央区花隈町 --城址碑-- |
別名 | 花熊城 |
交通 | 神戸高速鉄道東西線「花隈駅」から徒歩5分。 |
築城年代 | 1568年(永禄11) |
築城者 | 和田惟政 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 荒木村重 |
1567年(永禄10)織田信長の命を受けた荒木村重が、家臣野口与一兵衛を奉行として築いたとされるが、この時期まだ信長は入京しておらず、この地方に力を及ぼす状況に無かった。従って1568年(永禄11)10月、和田惟政に摂津を与えた時、又は1574年(天正2)石山本願寺と毛利氏間を断つ為に荒木村重に命じ築かせたのか、どちらかと思われる。 1578年(天正6)村重は信長に叛き、有岡城に籠もった。翌年9月村重は有岡城を脱して尼崎城(大物城か)に入り、次いでこの花熊城に籠った。1580年(天正8)2月、信長は池田恒興に花熊城攻撃を命じる。3月2月から合戦が始まり、7月2日落城すると村重は毛利氏を頼り、西国へ逃れた。 戦功によって兵庫の地を与えられた恒興は、1581年(天正9)花熊城を廃し、石材の一部を用いて天守閣を備えた兵庫城を築いた。 城址一帯は市街地化され遺構は残されておらず、花隈公園に城址碑や模擬天守台、西側福徳寺に天守閣跡碑が立つだけとなっている。 |
花隈公園 | 模擬天守台 | 福徳寺に立つ天守閣跡碑 |