静岡県焼津市高崎 案内板地図 --本丸に立つ城址碑-- |
別名 | |
交通 | JR東海道本線「焼津駅」から徒歩50分。 |
築城年代 | 1537年(天文6) |
築城者 | 今川義元 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 関口氏録・大原資良 |
1536年(天文5)4月7日、今川氏輝没後、遍照光寺住職玄広恵探(今川良真)と栴岳承芳(今川義元)が跡目を争った花倉の乱に勝利した今川義元は領国経営を目指し、1537年(天文6)日本坂・小坂間の街道を押さえる西駿河の守りとして、徳之一色城と共にこの花沢城を築いたとされ、初代城主は一族である関口氏録とされる。 1568年(永禄11)武田信玄の第一次駿河侵攻により今川館を追われた今川氏真は朝比奈泰朝が守る遠江掛川城へ逃れた。そして1569年(永禄12)三増合戦後、蒲原城を攻略した信玄は再び駿府を占拠すると、山西地域への侵攻を開始、1570年(永禄13)1月、大原資良が守る花沢城を攻めた。花沢城を見下ろす西側の高草山中腹に布陣した信玄は14日間にわたり攻め立て、27日城方は開城した。次いで信玄は長谷川正長が守る徳之一色城も落とし、山西地域を支配下に置いた。 標高150メートルの山頂部には稲荷神社が祀られた本丸と堀切を隔て二の丸が置かれており、本丸北側には僅かに土塁が残されている。また案内板付近、現在吉津から高崎へ抜ける市道となる切通しは堀跡とされる。 |
堀跡とされる切通し | 本丸 | 本丸に建つ稲荷社 |
本丸北土塁 | 本丸・二の丸間堀切 | 西から城址遠望 |