徳之一色城

徳之一色城とくのいっしきじょう
静岡県藤枝市田中3丁目
Mapion

--田中藩下屋敷--
別名     
交通 JR東海道本線「西焼津駅」から徒歩20分。
築城年代 1537年(天文6)
築城者 今川義元
形式 平城
主な城主 長谷川正長
この地の土豪一色左衛門尉信茂(一説に信義)が築いた事に始まるといわれる。
1536年(天文5)4月7日、今川氏輝没後、遍照光寺住職玄広恵探(今川良真)と栴岳承芳(今川義元)が跡目を争った花倉の乱に勝利した今川義元は領国経営を目指し、1537年(天文6)西駿河の押さえとして、花沢城と共にこの徳之一色城を再築したとされる。由比美作守正信が在城し、1560年(永禄3)桶狭間合戦以降は長谷川正長が守った。
1569年(永禄12)三増合戦後蒲原城を攻略した武田信玄は駿府を再占拠した。そして1570年(永禄13)1月27日、花沢城を攻略すると、続いて徳之一色城を攻め落とし、山西地域を支配下に置いた。城主正長は武田氏に従ったとも徳川家康の下へ逃れたともいわれる。信玄は徳之一色城を増築し、城名を田中城と改めた。
徳之一色城の旧地について詳しい事は分かっていないが、田中城三の丸南東、江戸期の田中藩下屋敷付近と推定される。

参考文献 「現地案内板」
                「日本城郭全集 人物往来社」
                       「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2008年9月
2017年1月