長谷堂城

長谷堂城はせどうじょう
山形県山形市長谷堂
Mapion

--北から城址遠望--
別名 亀ヶ城・楯山
交通 JR奥羽本線「蔵王駅」から徒歩40分。
築城年代 戦国時代
築城者 最上氏
形式 山城
主な城主 志村伊豆守光安
長谷堂城の築城年代については明らかではないが、1514年(永正11)置賜の伊達稙宗軍に一時占拠されたという文献から、少なくともそれ以前であったと考えられている。その後最上氏の山形城の西南の守りとして、長谷堂城は木沢川から導水して深堀を巡らす等整備された。
1600年(慶長5)直江兼続率いる2万の大軍に攻められるが、志村伊豆守以下5千が籠もる長谷堂城は持ちこたえ守りきった。「慶長出羽合戦
志村伊豆守はこの功績により加増されて庄内酒田の東禅寺城主となり、その後成沢城から坂紀伊守光秀が移封され、長谷堂城下は整備される。
1622年(元和8)最上氏の改易と同時に廃城となった。
北麓に復元された水堀 本丸南、腰曲輪 内側から見る本丸枡形虎口
本丸 本丸から北西
菅沢山直江本陣跡遠望
南西斜面、二重横堀上段
北尾根 土塁 帯曲輪群

参考文献 「現地案内板」
                        「山形・宮城・福島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2010年3月