畠山重保屋敷

畠山重保屋敷はたけやましげやすやしき
神奈川県鎌倉市由比ガ浜2丁目
Mapion

--屋敷址碑--
別名          
交通 JR横須賀線「鎌倉駅」から徒歩10分。
築城年代 鎌倉時代
築城者 畠山重保
形式 屋敷
主な城主 畠山重保
鎌倉幕府有力御家人の一人畠山重忠の子重保屋敷跡。
1199年(建久10)源頼朝没後、幕府の実権を握った初代執権北条時政は有力御家人を次々と排斥し、1203年(建仁3)比企能員一族を攻め滅ぼすと、次に目標とされたのは畠山氏であった。
1204年(元久1)重保は平賀朝雅と酒宴の席で口論となる。朝雅は時政の後妻牧の方の娘婿であり、時政と牧の方は稲毛三郎重成に謀り、3代将軍実朝に畠山謀反を訴えさせると、1205年(元久2)6月22日、重保は謀反人として討たれた。
一方この3日前、菅谷館に居た父重忠は鎌倉に変ありの報を受け、一族郎党134騎を引き連れて鎌倉へ向かったが、22日二俣川で待ち受けていた北条義時と戦い、討死した。
若宮大路・一の鳥居付近が屋敷跡とされ、屋敷跡碑と重保墓塔とされる宝篋印塔が立つ。

参考文献   「鎌倉合戦物語 雄山閣出版」
                   「中世都市鎌倉 遺跡が語る武士の都 講談社」
訪城回数 1
2016年1月