疋壇城

疋壇城ひきたじょう
福井県敦賀市疋田
Mapion

--本丸櫓台に立つ城址碑--
別名 疋田城
交通 JR北陸本線「新疋田駅」から徒歩15分。
築城年代 1469〜87年(文明年間)以前
築城者 疋田対馬守久保
形式 山城
主な城主 疋田氏
この地は柳ヶ瀬越・塩津越・海津越の主要江州路が集まる交通上の要衝で、古来日本三関の一つ、愛発関(あらちのせき)が置かれていた地でもある。
疋壇城は1469〜87年(文明年間)以前、朝倉氏家臣疋田対馬守久保により築城され、朝倉氏の最南端防衛拠点として築かれたとされる。
1570年(元亀1)4月、織田信長による越前攻略の際、金ヶ崎城手筒山城と共に疋壇城は落城するが、近江国小谷城主浅井氏が蜂起した為、信長が撤退すると、再び修復された。
1573年(天正1)信長の再度の越前攻略により疋壇城は再び攻め落とされ、城主疋田六郎三郎は討死、城は完全に破却された。
城址の大半は畑として利用されているが、空堀や石垣が残されている。
南側はグラウンドになっている 城址碑 本丸東空堀
本丸東石垣 本丸
畑になっている
本丸西土塁
内側に石垣が残る
本丸櫓台石垣 本丸櫓台から南側 城址西側

参考文献 「現地案内板」
                        「京都・滋賀・福井の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2013年8月