福井県敦賀市泉 登山口地図 --主郭北西竪堀-- |
別名 | 手筒城 |
交通 | 各線「敦賀駅」から登山口まで徒歩20分。 |
築城年代 | 南北朝時代 |
築城者 | |
形式 | 山城 |
主な城主 | 朝倉氏 |
手筒山城は金ヶ崎城南東稜線上に位置し、1336年(建武3)新田義貞が金ヶ崎城に拠った際、足利勢が布陣し、新田勢を俯瞰したとされる。 1569年(永禄12)越前守護朝倉義景は、織田信長の北陸進出に備え、寺田采女丞を守将とし、疋田右近・津波甚四郎・九岐佐助を物頭とした。 1570年(元亀1)4月、京を出陣した信長は国吉城に入り、敦賀侵攻を開始する。25日敦賀に侵攻した信長は妙顕寺に本陣を置き、手筒山城と金ヶ崎城へ攻撃を開始する。手筒山背後から攻め寄せる信長勢に対し、金ヶ崎城の朝倉景恒が救援に向かうが敗れ、手筒山城は落城した。翌日信長勢は金ヶ崎城を攻略し、南方疋壇城も守兵が逃亡し、敦賀全域は信長に占領された。 城域は広範囲にわたり、山頂付近は展望台や東屋が建てられ、遺構は見当たらないが、現在ハイキングコースが通る南北尾根上に曲輪跡や堀切が確認出来る。 |
南郭北側堀切 | 南郭 | 南郭南側堀切 ほとんど埋もれている |
手筒山山頂 | 手筒山山頂から西 中央右側、海に突き出した岬が 金ヶ崎城 |
手筒山山頂下郭跡 |