長野県松本市島内 城址登山口地図 --竪堀-- |
別名 | |
交通 | JR篠ノ井線「田沢駅」から登山口まで徒歩25分。 |
築城年代 | 室町時代か |
築城者 | 平瀬氏 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 原美濃守虎胤 |
平瀬城は、犀乗沢北側の本城、沢の南側の支城から成り、山麓を安曇野に通じる往還が通り、交通の要衝に位置していた。「信府統記」では、犬甘氏の一族平瀬氏が城主であったと推測しており、南方犬甘城と共に、林城と同時期の室町時代に築城されたと考えられる。 1550年(天文19)7月10日、小屋城に入城した武田晴信は、小笠原長時が拠る林城の攻略を開始、15日に乾の城(埴原城か)が落城した事に城兵は逃亡、長時が拠る林城をはじめ周辺諸城は自落し、晴信は深志城に本拠を置いた。しかし林城落城後も犬甘城・平瀬城は小笠原長時に属し、抵抗を続けていた。 1551年(天文20)10月24日、晴信は小雨の降る中、平瀬城攻めを開始し、平瀬下野守以下、城兵200人余が討死したという。28日に鍬立が行われ、11月10日、原美濃守虎胤が城代になったとされる。 地図の地点から沢沿いの道を登り、左手の山が本城で、主郭東側は藪も多いが遺構は良く残されており、山頂からは安曇野方面が一望出来る。また沢沿いの道から右手に見える山が南支城で、こちらも遺構が残されているようだが、明確な登山道は無い様である。 |
主郭虎口 | 主郭・二郭間仕切り土塁 | 二郭 |
二郭から北西の眺め | 主郭 | 主郭に立つ標柱・石塔 |
主郭背後堀切 | 主郭東堀切 | 西麓から城址遠望 |