干沢城

干沢城ひざわじょう
長野県茅野市宮川
Mapion
登山口地図

--二郭・三郭間空堀--
別名 樋沢城・安国寺城
交通 中央自動車道「諏訪」ICから車で15分。
築城年代 不明
築城者 諏訪氏
形式 山城
主な城主 諏訪氏・高遠頼継
築城者・年代は不明だが、諏訪大社上社大祝諏訪氏により築かれたと考えられる。
1456年(康正2)頃、諏訪氏は祭政を分離し、諏訪信満は総領家として上原城に入り、武士団政権を担当、大祝家はこの干沢城・前宮を根拠とし、祭祀を司る事となった。
1483年(文明15)両権を握ろうとする大祝継満は信満の子政満を神殿に招いて殺害し、この干沢城に籠もるが、総領家を支持する一族らに攻められ、妻の生地である伊那高遠に逃れた。翌年小笠原貞宗以下、伊那の諸豪族の援助を得た継満は、杖突峠を越えて諏訪に侵入した。この後の経緯は記録が無く不明だが、帰参したものと思われる。
1542年(天文11)6月、武田晴信が諏訪に侵攻すると武田勢に呼応する高遠頼継が籠もった。晴信が桑原城に籠る諏訪頼重を攻め、自刃させると諏訪領は宮川を境に東は武田氏、西は高遠氏が領する事となったが、これに不満を持った頼継は兵を挙げ諏訪を一手に治めようとした。同年9月25日、晴信は頼重の遺児虎王を擁して5千の兵を率い、安国寺門前一帯で頼継を破った。
北から城址遠望 主郭に立つ城址碑 投石用小石
主郭・二郭間空堀 二郭 四郭
干沢城・長林砦(出丸)間堀状地形 長林砦(出丸)下堀切 長林砦(出丸)

参考文献 「現地案内板」
                     「信州の山城 信毎書籍出版センター」
                    「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2006年10月
2008年4月