群馬県高崎市保渡田町 -本丸櫓台跡(天主山・天子塚古墳)- |
別名 | |
交通 | 関越自動車道「前橋IC」から車で15分。 |
築城年代 | 1566年(永禄9) |
築城者 | 内藤昌豊 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 内藤昌豊・昌月 |
1566年(永禄9)9月29日、箕輪城を落とした武田信玄は浅利信種を箕輪城代としたが、1569年(永禄12)三増峠合戦で討死、後任の内藤昌豊(昌秀)はこの保渡田城を改修して居城、西上野支配の拠点とした。 1575年(天正3)長篠合戦で昌豊が討死すると、養子である昌月が城主となるが、「総社記」によれば、1589年(天正17)城主「内藤外記」は中川武蔵守に攻められ、善龍寺で自刃したとある。 保渡田北部公会堂付近一帯が城址。大半が宅地や畑となるが、本丸跡である公会堂南側に櫓台跡(天主山・天子塚古墳)・堀跡、二郭(北城)の土塁や堀跡が残されている。 |
四郭 | 本丸(保渡田北部公会堂) | 二郭・三郭間堀跡 |
五郭 | 二郭・三郭間堀・土塁 | 内藤塚・善龍寺 右が内藤昌豊、左が昌月 |