大阪府茨木市片桐町 --復元された櫓門・茨木小-- |
別名 | |
交通 | 阪急京都線「茨木市駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 15世紀初頭以前か |
築城者 | 茨木氏か |
形式 | 平城 |
主な城主 | 中川清秀・片桐且元・貞隆 |
茨木城の創建については、1334〜36年(建武年間)楠木正成が築いたという説、安富氏が築いたという説、または福富氏が築いたという説もあり、定かではない。 1444〜49年(文安年間)に茨木氏の名が見え、茨木氏の台頭とそれに伴う茨木城築城は、遅くとも15世紀初頭前後に比定出来るものと思われる。 1568年(永禄11)織田信長が摂津に侵入した際、城主茨木佐渡守は三好長慶に属していたが、信長に降り、本領を安堵され、以後信長に属す。1570年(元亀1)一向一揆や三好三人衆が兵を起こすと、高槻城主和田惟政と共に信長方の前線を守るが、翌2年8月28日、荒木村重らと白井河原で争い敗れ、茨木勢は茨木兄弟以下3百名が討死し、茨木氏は滅びた。 1577年(天正5)中川清秀が入城し、翌6年縁故者である荒木村重が信長に背くと清秀も一旦はそれに従うが、その後信長につき、開城した。 関ヶ原合戦の翌年、1601年(慶長6)茨木城には片桐且元・貞隆兄弟が入部する。その後1615年(元和1)大坂夏の陣直後、且元は没し、茨木城は一国一城令により廃城となった。後に貞隆は大和国小泉へ移った。 現在の茨木小(字中土井)の北側に本丸があったとされ、茨木小には櫓門が復元されている。また南西にある茨木神社東門は、搦手門と伝わる。 |
茨木神社東門 搦手門と伝わる |
本丸跡 | 佐助屋敷 古田織部屋敷跡とされる |