伊賀上野城

伊賀上野城いがうえのじょう
三重県伊賀市上野丸之内
Mapion

--大天守・小天守--
別名 白鳳城
交通 伊賀鉄道「上野市駅」から徒歩5分。
築城年代 1611年(慶長16)
築城者 藤堂高虎
形式 平山城
主な城主 藤堂高虎・藤堂高清
1608年(慶長13)>1608年(慶長13)摂津国大坂城主豊臣秀頼を包囲する大名配置の必要から筒井氏は突如改易となり、伊予国今治城から伊賀・伊勢20万石を与えられた藤堂高虎が入城すると、筒井古城は大改修される。大坂に備える為、西面は特に重視され、本丸は西へ拡張され、日本有数の高さを誇る高石垣が築かれた。更に本丸中央には5層の天守の築造も始められたが、完成間近の1612年(慶長17)暴風雨の為に天守は倒壊、1615年(慶長20)大坂の陣で豊臣氏が滅亡し、その後武家諸法度による城普請禁止により、城の築城は中止された。
当初高虎は上野城を有事の城とし、伊勢国津城を平時の居城としたが、大坂の陣の後、津城が本城となり、上野城は支城とした。一国一城令後も上野城は存続が認められ、1620年(元和6)高虎の弟藤堂高清が城代となる。1640年(寛永17)高清死後は伊賀出身である藤堂采女が城代となり、以後筒井氏時代の本丸跡に設けられた城代屋敷にて政務が行われ、明治に至るまで代々藤堂氏が続いた。
大天守・小天守 本丸高石垣・内堀 本丸高石垣・内堀
本丸高石垣 本丸高石垣・内堀 天守閣
城代屋敷(古城部)枡形虎口 城代屋敷(古城部) 城代屋敷(古城部)石垣

参考文献 「現地案内板」
               「歴史読本 新人物往来社」
                         「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2008年12月