稲村ヶ崎古戦場

稲村ヶ崎古戦場
神奈川県鎌倉市稲村ガ崎1丁目

1333年(元弘3)5月18〜22日
新田義貞×北条高時
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--稲村ヶ崎--
交通 江ノ島電鉄線「稲村ケ崎駅」から徒歩10分。
1333年(元弘3)5月8日、上野国に挙兵した新田義貞は鎌倉を目指し南下、11日小手指原で鎌倉から北上してきた長崎高重・桜田貞国率いる幕府軍を破り、12日久米川合戦も勝利する。
15日分倍河原に陣した北条泰家勢は義貞を迎撃し、敗れた新田勢は堀兼方面に退くが、16日未明、再び北条勢と交戦し、敗走する幕府軍を関戸に破った。
18日鎌倉に迫った義貞は鎌倉七口の内、巨福呂坂・化粧坂・極楽寺坂から侵入を試みるが、大舘宗氏が討死する等、大きな被害を出し、いずれの防衛線も突破出来なかった。攻めあぐねた義貞は21日夜、稲村ケ崎の波打ち際から引き潮に乗じて鎌倉へ攻め入ると、巨福呂坂・化粧坂方面からも新田軍が乱入し、22日鎌倉を制圧、14代執権北条高時一族は自刃し、鎌倉幕府は滅亡した。
この合戦で義貞が稲村ケ崎の崖上から黄金の太刀を海中に投じて引き潮になったという伝承が残されている。
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十一人塚
大舘宗氏以下11人を弔う塚
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極楽寺坂切通
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新田義貞徒渉伝説地碑

参考文献 「歴史群像シリーズ 学研」
         「鎌倉合戦物語 雄山閣出版」
2016年1月