猪苗代城

猪苗代城いなわしろじょう
福島県耶麻郡猪苗代町字古城跡
Mapion

--西から城址遠望--
別名 亀ヶ城
交通 JR磐越西線「猪苗代駅」から徒歩25分。
築城年代 1191年(建久2)
築城者 猪苗代経連
形式 山城
主な城主 猪苗代盛国
相模国衣笠城を本拠とする三浦大介義明の子で、佐原城主の佐原十郎義連は、1189年(文治5)源頼朝による奥州征伐に従軍し、その軍功により会津の地頭職となった。
義連の子盛連には6男があり、長男経連は猪苗代氏を称し、この地に猪苗代城を築いた。以後14代盛胤まで猪苗代氏代々の居城となる。これより後異母弟光盛は会津蘆名氏を称している。
蘆名氏とは同族であるが、室町時代から戦国時代にかけて度々争っており、蘆名氏が戦国大名に成長した後も、猪苗代氏は独立性を保っていた。しかし1551年(天文20)蘆名盛氏は猪苗代平太郎に一字与え、盛国と称させている事からこの頃臣従関係が結ばれたものと考えられる。
1588年(天正16)この盛国は子盛胤に家督を譲り隠居中であったが、突如城を占拠し、以後父子は各地で戦っている。伊達政宗への内応をめぐり対立したものと考えられる。1589年(天正17)摺上原合戦において、盛国は政宗に内応し、戦後伊達家の一家に準ぜられるが、翌年豊臣秀吉による奥羽仕置により、政宗と共に会津を去った。
代わって蒲生氏郷が会津に入り、以後猪苗代城は明治に至るまで会津藩領に組み込まれ、戊辰戦争で焼失するまで会津藩東の要となった。
大手枡形門石垣 二の丸(土蔵跡)東門跡石垣 内側から見る二の丸(土蔵跡)東門跡
番小屋・焔硝蔵跡 番小屋・焔硝蔵跡南堀 二の丸(土蔵跡)西門跡
本丸 本丸西下横堀 西から城址遠望

参考文献 「現地案内板」
                        「山形・宮城・福島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2011年5月