神奈川県伊勢原市石田 --円光院-- |
別名 | |
交通 | 小田急線「愛甲石田駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 平安時代末期 |
築城者 | 石田次郎為久 |
形式 | 丘城 |
主な城主 | 藤田氏 |
平安時代末期、石田の地は三浦一族で岡崎城主岡崎四郎義実の兄である次郎為久が領していた。為久は1184年(元暦1)1月、源義仲と源範頼・義経が争った近江栗津原合戦の際、深田に馬を踏み入れた義仲を弓で討ち取った武将として知られている。 1247年(宝治1)宝治合戦の際、当主石田重方が鎌倉へ向かい、三浦泰村と共に討死すると、一族は離散したとされる。 現在僅かに見られる遺構は室町時代以降のものと推定され、長享・永正の乱、また後北条時代にこの地を治めた御馬廻衆藤田大蔵丞との関連が考えられる。 現在一帯は宅地化されているが、円光院から北200メートル、地元で「外堀(とぼり)」と呼ばれる付近に土塁と空堀が残されている。また往時は麓を水堀が廻っていたといい、その水源で馬洗い場になっていたとされる水神様が東側にある。 |
「外堀(とぼり)」付近 | 「外堀」に残る土塁・空堀 | 水神様・馬洗い場跡 |