宮崎県都城市高城町石山 --走湯権現社-- |
別名 | |
交通 | JR日豊本線「都城駅」から車で20分。 |
築城年代 | 南北朝時代 |
築城者 | 肝付兼重 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 畠山直顕 |
1334〜38年(建武年間)多々良浜合戦に勝利した足利尊氏は、九州の大半が尊氏に応じる中、南朝方に従う勢力掃討を畠山直顕に命じた。 三俣院(現都城・三股町)を治めていた肝付氏8代兼重は南朝方に従い、日和城に拠るが、1339年(延元4)8月、将軍山に陣した直顕に攻められた。兼重は南朝方から受けた錦の御旗の下に、連日激戦を繰り返すが遂に力尽き、日和城は落城、兼重は大隅高山へ敗走した。 1358年(正平13)11月、肥後国南朝方菊池武光は4千の兵を率い、日和城とこの石山城に拠る直顕とその子重隆を戦場川原合戦で破り、畠山父子は敗走した。 城址に建つ走湯権現社は畠山直顕の重臣土肥平三郎実重が山之口に立てた走湯権現社の末社という。 |