1358年(正平13) 菊池武光×畠山直顕 --大淀川右岸に立つ標柱-- |
交通 | JR日豊本線「都城駅」から車で25分。 国道10号線沿いに標柱があります。 |
1334〜38年(建武年間)多々良浜合戦に勝利した足利尊氏は、九州の大半が尊氏に応じる中、南朝方に従う勢力掃討を畠山直顕に命じた。 三俣院(現都城・三股町)を治めていた肝付氏8代兼重は南朝方に従い、日和城に拠るが、1339年(延元4)8月、将軍山に陣した直顕に攻められた。兼重は南朝方から受けた錦の御旗の下に、連日激戦を繰り返すが遂に力尽き、日和城は落城、兼重は大隅高山へ敗走した。 1358年(正平13)11月、肥後国南朝方菊池武光は4千の兵を率い、日和城と石山城に拠る直顕とその子重隆をこの地で破り、畠山父子は敗走した。これにより九州における北朝方勢力はほぼ一掃された。 |