一色城

一色城いっしきじょう
愛知県豊川市牛久保町
Mapion

--大聖寺付近に残る土塁--
別名  
交通 JR飯田線「牛久保」から徒歩5分。
築城年代 1439年(永享11)
築城者 一色時家
形式 平城
主な城主 牧野成勝
1438年(永享10)永享の乱の際、鎌倉公方足利持氏に従う一色時家は戦いに敗れると、三河国吉良俊氏の下に逃れた。そして翌年この地に入部して一色城を築いたとされる。
1477年(文明9)時家は家臣波多野全慶に灰野原合戦で討たれるが、1493年(明応2)全慶も瀬木城主牧野成時(古白)に討たれ、一色城は成時居城となる。
1505年(永正2)成時が今橋城を築いて豊橋へ 進出すると、次男成勝が瀬木城から呼ばれ城主となる。
1529年(享禄2)成勝が南側に牛久保城を築くと、一色城は廃城、又はその一部に組み込まれたものと考えられる。
大聖寺一帯が城址とされ、土塁の一部が残されている。また大聖寺境内には今川義元胴塚がある。これは1560年(永禄3)5月19日、桶狭間合戦で義元が討死した時、家臣が首を取られた義元の胴体を背負ってこの地まで逃れ、大聖寺に葬ると、石の手水鉢を墓石の代わりにしたものとされる。
土塁 大聖寺境内にある今川義元胴塚

参考文献 「現地案内板」 
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2006年8月