牛久保城

牛久保城うしくぼじょう
愛知県豊川市牛久保町
Mapion

--城址--
別名 牛窪城
交通 JR飯田線「牛久保駅」から徒歩3分。
築城年代 1529年(享禄2)
築城者 牧野成勝
形式 平城
主な城主 牧野康成
1529年(享禄2)北方に隣接する一色城主牧野成勝が、今橋城主牧野信成の命により築城したとされる。至近距離に牛久保城を築いた理由は不明だが、出羽守保成が入城したとされる。
1560年(永禄3)桶狭間合戦後岡崎城に自立した徳川家康と今川氏真の間で三河国の攻防が激しくなる。氏真は佐脇・八幡に砦を築くと、家康も一宮砦を築いて対抗し、その後牛久保城は家康に攻められ落城、保成は討死したという。しかし牧野貞成は既に家康方に心を寄せており、その後今川を離れて家康方に転じた。
1590年(天正18)徳川家康の関東移封に伴い、牧野康成は2万石で上野国大胡城へ移る。後に牛久保は天領となり、1700年(元禄13)廃城となる。
城址一帯は宅地化されており、牛久保駅東側にある小広場に碑・案内板が立つのみとなっている。

参考文献 「現地案内板」
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2006年8月